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2015-07-10 20:00 | カテゴリ:コミュニケーション
息子が靭帯損傷して、ギブス&松葉杖の生活をしてます。
4~6週間はギブスで固定して自然治癒を待つのだけど、自転車通学に戻れるのはいつになることやら。

息子にはこういう時だからこその話題をフリます
不自由には違いないけどどんな体験でも必ずそこには学ぶことが在る、と話しておいて質問します。

わたし「怪我をしたというのは一見悪いことのようだけど、逆に怪我をしたからこそ気づいたこととか良かったことはある?」
息子 「無い!」
不自由な状況にイラついているのが分かります。少しだけヒントを出します。

わたし「誰かがカバンを持ってくれて、実は〇〇さんは親切な人だったんだ~とか。普段は目立たない人の善い面が分かったとか」
息子 「あぁ…」
不自由な体験の中にあるポジティブな要素を見つけようと思考を始めたのが分かります。

うちの場合はこの話題はこれで終わりです。
話さなくても思考を始めたなら良しです。
雄弁なタイプの子なら答えるのでしょうけど。

ネガティブな中に存在するポジティブを見つける、不幸も幸福も表裏一体。
そこに意識を向ける、そこに気づく、そういう思考のクセをつける。

親が子どもにしてあげられることは、子どもの道をその子自身が歩めるように手伝うこと。

答えを教え諭しても本人のものにならないのだけど、自分で考えて思いつくことは本人のものになるのです。
思考を育てるというのは、適切な時に、適切な質問をする=意識が向く→自分で答えを見つけようとする、ということ。

親は教えたくてたまらないものですが、口を閉じて自分の内面と子どもの様子を観察した方が、子どもの思考回路が育つジャマをしないのです。
自分の内面を観察するというのは、自分が話すということは子どものためになるのか、あるいはジャマをすることになるのか気づくということです。
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